かつて香港・九龍地区に存在した
巨大無法スラム街・九龍城。
そんな特殊な地区に「家賃が安い」という
理由で住んでいた日本人がいるそうです!
その方の名前は吉田一郎さん。
12月25日(月)放送予定の
「激レアさんを連れてきた。」にて、
そんな吉田一郎さんが登場します。
すこし先駆けて吉田一郎さんについて
調べてみましたので、ご紹介します!
また、九龍城について紹介した記事も
併せてどうぞ!!(‘v’*)
<目次>
1.吉田一郎の経歴は?
2.吉田一郎の九龍城在住時代の様子は?
3.吉田一郎の飛び地サイトがすごい!
1.吉田一郎の経歴は?
今回「激レアさんを連れてきた。」に
登場する吉田一郎さんですが、
1963年・東京都生まれの日本人。
その経歴はものすごく独特です…!
小学校時代はクラスの「アイデアマン」と
呼ばれ、漫画を描くのが趣味で
将来の夢はコメディアンだったとか。
幼い頃から、創造性と感受性が
とても豊かな方だったんですね。^^
そして小学4年生の頃に新聞係になったのを
皮切りに、中学・高校・大学と
ずっと新聞部に所属していたとか。
その継続力には脱帽ですね…(-“-;)
進学につれて違うサークルに入ってみたり、
浮気しないところがすごいです(笑)
吉田一郎さんはそんな経歴から、
おかしいと思ったことを
伝えることに夢中になり、
ジャーナリストを目指されたそうです。
そして、「植民地ってどんなところ?」という
興味から当時はイギリス領だった
香港へ留学されます。
その行動力たるや(笑)
香港中文大学に在籍しつつ、
日本語学校でアルバイトをしていた
吉田一郎さんは、家賃の安さに惹かれて
九龍城砦に住むことに!
大学卒業後は香港の新聞社に勤務されます。
やがて、雑誌の編集長として
1997年の香港の返還に絡んで、
自治権の拡大や民主化を報道するように。
自治権の象徴のような九龍城に住んでいた
吉田一郎さんだからこそできることですね。
「香港を最もよく知る日本人」として
メディアにも出演するように。
やがて日本に帰国し、
今度は故郷さいたまのあり方に、
一市民として参加するように。
2001年には初めてさいたま市長選挙に
出馬しますが、落選。
しかし、2007年には
さいたま市議会議員選挙にて、
とうとう当選。
紆余曲折を経て、現在も
同市議会議員として活躍されています^^
九龍城に住んだことのある市議…
類を見ないのではないでしょうか^^;
2.吉田一郎の九龍城在住時代の様子は?
吉田一郎さん、香港に渡ってから
不動産屋さんを回って
安い物件を探したそう。
そこで、一件だけ家賃が通常の
4分の1の、とても安い物件が…
それが九龍城の物件だったそう!
最初はスラム街だと思って
恐る恐る物件の周りを調べたそうですが、
女子高生が普通に歩いていたり、
夜でも子供が遊んでいたりと
案外普通だったので住むことに決めたそう。
九龍城というと行政力が及ばない
無法地帯として、アンダーグラウンドな
イメージがあるかもしれませんが、
住民が自治体を作って
自警団なども機能していたそう。
決して無法=治安が劣悪、
ではないのですね。
しかし、吉田一郎さんの九龍城での
暮らしは決して楽ではなかったよう。
騒音や悪臭、ゴミ問題などに悩まされ、
また、外国人だからと警察にも
しょっちゅう職務質問されたとか。
無法地帯なのに職務質問、
なんだか面白いですね(笑)
3.吉田一郎の飛び地サイトがすごい!
そんな吉田一郎さん、
現在はさいたま市議ですが、
吉田一郎さんの持つ顔は
それだけではありません。
「世界飛び地領土研究会」というサイトの
管理人もしています。
「世界飛び地大全」という著書もあり、
飛び地についてのエキスパートなのです。
飛び地というと、本国とは繋がっていない
離れた領土のことですから
もちろん九龍城も含まれます。
吉田一郎さん、そんな飛び地に
若い頃からとても興味があり、
色々な国の飛び地を回った経験が
豊富なんだそう。
飛び地のある国を30カ国以上
回ったというから驚きですね^^
サイト「世界飛び地領土研究会」は、
自分のメモのつもりで始たそうですが、
さすが元編集者さんのHPだけあって、
ものすごく読みやすいのでオススメです^^
まとめ
九龍城に住んでいたという
異色の経歴を持つ
現・さいたま市議の吉田一郎さんを
ご紹介しました!
独特すぎる経歴は他の追随を許しませんね!
しかし若い頃から一切ブレない姿勢と
探究心は、感銘を受けました(*´∀`)
放送が楽しみですね!
九龍城についてご紹介した
記事もありますので、
よろしければご覧ください(*´∀`)
それでは、今回もご覧いただき
ありがとうございました!